「おいのり」って、なぁに?




祈りって、何でしょうか。子どもたちといっしょに考えてみましょう。


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なぁに?その1「おいのり」って、なんでしょうか。
なぁに?その2「おいのり」って、どのようにするでしょうか。
なぁに?その3まだ「おいのり」の ことばを しりません。
なぁに?その4どうしても「おいのり」できないときが あります。
なぁに?その5おとなのかたへ

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いろいろなお祈りのことばが知りたい方は、
祈りのことばさんびのうたの覚え書き などのページをご覧ください。


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2008年8月6日午後1時43分、富士山麓で大空を見上げる。





=== === ===◆「おいのり」って、なんでしょうか。◆=== === ===

「おいのり」は、かみさまと おはなし すること。
「おねがい」だけでは ありません。


かみさまへの「ごあいさつ」。…かみさま、おはよう。あたらしい いちにちを ありがとう。
           …かみさま、おやすみなさい。ねむっている あいだも わたしは かみさまの こどもです。

かみさまへの「かんしゃ…かみさま、ありがとう。おいしい しょくじ、たいせつな かぞく、なかよしの おともだち。
           …かみさま、ごめんね。よい子になれるよう おめぐみを ください

かみさまへの「さんび」。…かみさま、あなたは すばらしい おかたです。

かみさまへの「そうだん」。…かみさま、わたしは どうしたら よいでしょう。おしえて ください。

かみさまへの「しんらい」。…かみさま、あなたは だたしい おかたです。
           わたしの のぞみは かなわなくとも、
           わたしの おもいどおりに ならないときも、
           あなたは すべて よいように なさいます。      (マタイ福音書 26章39節参照)


かみさまへの「さけび」。…かみさま、どこにおられるのですか。いそいで たすけに きてください。

かみさまへの「おねがい」。…かみさま、おともだちのために、おねがいしたいことがあります。

そのほか、とくべつに たいせつな おいのりが、
↓これ↓ です。


かみさま、「おはなし ください」。…かみさま、きょうは わたしが おはなしするのではなく、
           あなたが おはなしください。
           わたしは ききます。       (サムエル記 上 3章9節・10節参照)


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=== === ===◆「おいのり」って、どのようにするでしょうか。◆=== === ===



「おいのり」の きほんは、

てを あわせて。
めを とじて。
せすじを のばして。

こころを しずかに してから はじめます。



けれども、

めを あけて、しせいを くずして、のんびりして、
 きれいな けしきを ながめながら、
 おみどうの じゅうじかを ながめながら、
 おともだちといっしょに、 を つなぎながら、

おいのり するのも すてき です!!


ひとりで おいのり するとき は、
しゅごの てんしが いっしょに おいのりしています。

かぞくや きょうかいの おともだちと おいのりするときは、
イエスさまが いっしょに おいのりしてくださいます。

うたを うたう と、そのひとは 2ばい いのる ことに なる」
と、せいアウグスチヌスは いいました。



イエスさまは、こどもたちが だいすき でした。
それは、
こどもは かみさまに とくべつ ちかいからです。
こどもは みんな、
すなおな こころで かみさまと
おはなし することが できるからです。

きまった かたちの おいのりで なくても、
かみさまに はなしかける きもちで
てを あわせて みましょうね。



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=== === ===◆まだ 「おいのり」の ことばを しりません。◆=== === ===

おいのりの ことばを しらなくても、おいのりを ささげることが できます。

ありがとう」のきもち、「ごめんなさい」のきもち、
かみさまがだいすき」という きもち、
そして、かぞくや おともだちや せかいを おもう きもちがあれば、
それを かみさまに おはなし します。

じぶんの ことばで よいのです。

もしも、おいのりの ことばを しりたいなら、
イエスさまが おしえて くださった しゅの いのり
まいにち ささげましょう。





   しゅの いのり

てんに おられる わたしたちの ちちよ、
みな が せい と されますように。
みくに が きますように。
みこころ が てんに おこなわれる とおり
 ち にも おこなわれます ように。

わたしたちの ひごとの かてを  きょうも おあたえ ください。
わたしたちの つみを おゆるし ください。
 わたしたちも ひとを ゆるします。
わたしたちを ゆうわくに おちいらせず、
あくから おすくい ください。
(アーメン。)



主の祈り
天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください、わたしたちもひとをゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。(アーメン。)


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=== === ===◆どうしても「おいのり」できないときが あります。◆=== === ===

どうしても おいのり できないとき。それは…
… つかれて、ねむくて、しかたがないとき。
… こころが おちつかないとき。こころが はげしく ゆれているとき。
… あきらめてしまうとき。
… おもいがけない じこ に あったとき。


そんなときの ために、ふだんから おいのり ささげましょう。

ふだんから おいのり ささげる ひとは、おいのりの こころを もっています。
だから、
じぶんの ちからで おいのりできないときも、
こころは おいのりを ささげています。

イエスさまが くださった せいれいが、
こころに いのる ちからを くださいます。

しんぱい いりません。

しんぱい しないこと。
かみさまに おまかせすること。
これが いちばん たいせつです。



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=== === ◆おとなのかたへ◆ === ===


祈りとは、何でしょうか。


祈りというと、「○○しますように」という言葉を連想します。

日本人は、初詣でや、七夕など、季節おりおりに
祈りのことばをささげることを知っています。

でも、ここでいう「祈り」は、必ずしもそれと同じではありません。

祈りには、いろいろあります。

自分のための祈りもありますが、
だれか他の人のために祈ることも大切です。

ひとりで、自由なことばを使ってするものもあれば、
皆でひとつのことばを使ってするものもあります。

ひとりの祈りに耳を傾けて、皆がそれに合わせて祈ることもあれば
皆が沈黙のうちに祈ることもあります。

自分の意向ではなく、神さまの意向を知るための祈りもあります。

祈りとは、神に願いをささげるだけでなく、
神への賛美と感謝、挨拶と呼びかけ、信頼の表明、
そして識別のための祈りがあります。



自分の理解を超えたことが起き、心が動くときは、
自分の願いをささげるだけでなく、
神さまの思いに 耳を傾けましょう。

神さまは、ひとつひとつの出来事をとおして、わたしたちに働きかけておられますが、
とくに大きな困難に出会ったとき、
重要な決断を迫られるときは、
神さまが 何を求めておられるのかを、
心をからっぽにして 聞きましょう。

心をからっぽにするのは、とても難しいことです。

仮にそれができたとしても、
すぐに答えが聞こえてくるわけではありません。
でも、それでよいのです。

心をからっぽにする努力
をすることは、
神さまにすべてを委ねる努力
です。


その努力の上で歩みだすなら、
神さまは、その足元を照らしだしてくださいます

こうして、神さまと共に歩む経験を、
自分自身の信仰の体験として、大切に心に刻みながら
歩む人生そのものが、

キリスト者の祈り

なのです。




苦しい時、悩む時、
「神さま助けてください」と、心の中で叫ぶのは、
射祷(しゃとう)
と呼ばれ、すぐに神さまに届く祈りになる、と
教会は教えています。
そのような祈りは、まるで、弓を射って矢を放つように、
まっすぐに神さまに届くのです。




ことばにならない祈りもあります。
すべての祈りが、ことばになるとは かぎりません。

全能である神さまは、わたしたちが祈る前から、
わたしたちの本当に必要なものをご存知ですし、
わたしたちの思いは、日々、聖霊が主に直接執り成してくださっています。

聖パウロは次のように言っています。

「“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。
わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、
“霊”自らが、
言葉に表せないうめきをもって
執り成してくださるからです。
人の心を見抜く方は、
“霊”の思いが何であるかを知っておられます。
“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。」

         (使徒パウロのローマの教会への手紙8章26・27節、新共同訳)





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