(左)聖マキシミリアノ・マリア・コルベ神父(1894〜1941) ポーランド人司祭。
ナチス・ドイツに逮捕され、アウシュビッツ強制収容所へ。
そこで餓死刑に定められた囚人が命乞いをするのを見て、
その身代わりを自ら申し出た。
(中央)ゼノ・ゼブロフスキー修道士(1898〜1982) ポーランド人修道士。コルベ神父とともに来日。
全国を文字通り歩き回り、敗戦後の日本人を物心両面で支えた。
写真は上野で戦災孤児をお世話する「ゼノさん」。
(右)福者マザー・テレサ(1910〜1997) アルバニア系の修道女で、インドに帰化。
インドで修道会「神の愛の宣教者会」を設立し、
貧民・孤児・ハンセン病患者など、見捨てられた人たちの友となった。
たとえ人々の異言(いげん)、 天使たちの異言(いげん)を語ろうとも 愛がなければ わたしは騒がしいどら、 やかましいシンバル。 たとえ、預言する賜物(たまもの)を持ち、 あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、 たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を 持っていようとも、 愛がなければ、無に等しい。 全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、 誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、 愛がなければ、わたしに何の益もない。 愛は忍耐強い。愛は情け深い。 ねたまない。 愛は自慢せず、高ぶらない。 礼を失せず、自分の利益を求めず、 いらだたず、恨みを抱かない。 不義を喜ばず、 真実を喜ぶ。 すべてを忍び、すべてを信じ、 すべてを望み、すべてに耐える。 愛は決して滅びない。 預言は廃れ、 異言(いげん)はやみ、 知識は廃れよう、 わたしたちの知識は一部分、 預言も一部分だから。 完全なものがきたときには、 部分的なものは廃れよう。 幼子だったとき、 わたしは幼子のように話し、 幼子のように思い、 幼子のように考えていた。 成人した今、 幼子のことを棄てた。 わたしたちは、今は、 鏡におぼろに映ったものを見ている。 だがそのときには、顔と顔とを合わせて 見ることになる。 わたしは、今は一部しか知らなくとも、 そのときには、はっきり知られているように はっきり知ることになる。 それゆえ、信仰と、希望と、愛、 この三つは、いつまでも残る。 その中で最も大いなるものは、愛である。 |
Though I command languages both human and angelic --- if I speak without love, I am no more than a gong booming or a cymbal clashing. And though I have the power of profecy, to penetrate all mysteries and knowledge, and though I have all the faith necessary to move mountains --- if I am without love, I am nothing. Though I should give away to the poor all that I possess, and even give up my body to be burned --- if I am without love, it will do me no good whatever. Love is always patient and kind; love is never jealous; love is not boastful or conceited, it is never rude and never seeks its own advantage, it does not take offence or store up grievances. Love does not rejoice at wrongdoing, but finds its joy in the truth. It is always ready to make allowances, to trust, to hope and to endure whatever comes. Love never comes to an end. But if there are prophecies, they will be done away with; if tongues, they will fall silent; and if knowledge, it will be done away with. For we know only imperfectly, and we prophesy imperfectly; but once perfection comes, all imperfect things will be done away with. When I was a child, I used to talk like a child, and see things as a child does, and think like a child; but now that I have become an adult, I have finished with all childish ways. Now we see only reflections in a mirror, mere riddles, but then we shall be seeing face to face. Now I can know only imperfectly; but then I shall know just as fully as I am myself known. As it is, these remain: faith, hope, and love, the three of them; and the greatest of them is love. |