Isaiah 2: 2〜3 | イザヤの預言(2:2後半〜3前半)…英語からの和訳 |
2後 Then all the nations will stream to it, 3前 many peoples will come to it and say, 'Come, let us go up to the mountain of Yahweh, to the house of the God of Jacob that he may teach us his ways so that we may walk in his paths.' |
そのとき、すべての国民がそこ(=主の神殿の山)に、流れとなって押し寄せ、 多くの民族はそこへ来て言う。 「来たれ。ヤーウェ(=主)の山に登ろう。 ヤコブの神の家へ(登ろう)。 主が、ご自分の道をわたしたちに教えることができるように。 そして、わたしたちが主の道を歩むことができるように。」 |
≪注≫ 世界の終わりには、すべての国々が、天地創造の主である神をたたえることになるというイザヤの預言の一節。 ★2節 it は ヤーウェ(主)の神殿の山(the mountain of Yahweh's house)を指す。 stream [動] 「流れとなって(to 〜に)押し寄せる」 ★3節 people が複数形 peoples になっている点に注意。 →「人々」という意味ではなく、「民族」の意。 let us =let's Yahweh 「ヤーウェ」は、神を呼ぶときにイスラエルの人々が用いた名で、「主」(the Lord)とも訳される。 the God of Jacob [名] 「ヤコブの神」つまりイスラエル民族の神。 「ヤコブ」はイスラエルの民の先祖の名。 アブラハムの孫にあたり、後に「イスラエル」という名前に改名する。 (創世記32章参照) that he may teach us his ways that S may V =so that S can V 「(1) その結果SがVできる/(2) SがVできるように」 may を can の意味で使うのは、文語体。 so that we may walk 〜 これも上に同じ。 |
8月6日から7日にかけてね、スヌ校長は飼い主と一緒に富士山に登ってきたさ。
富士山って、古くから霊山として知られていて、普通の登山客だけじゃなくて、お参りのために登る人も多いんだ。
みんながよく行っていた御岳山も、そうなんだよ。
海や山に対して、人間をはるかに超える力を感じるのは、日本人も、聖書の時代の人たちも同じみたい。
イスラエルの人たちは、神さまをまつる神殿を、山(丘)の上に建てたんだね。
エルサレムにある「シオン」という丘は、聖書では神殿と同じ意味で使われているほど。
富士山は、それはそれは素敵な山でした。
登るのは大変だったけど、いつも暮らしてる街の世界とは全く違う別世界。
そういえば、イエスさまって、
お祈りするために、よく山に登ったんだ。
人々がわいわい暮らしてて、自分もふだんそこにいる街ではなく、
わざと遠く離れた、違う場所でお祈りしたんだね。
イエスさまがお祈りした場所は、
聖書では「オリーブ山(オリベト山)」とか、「人里離れた所」って書かれてるんだ。
みんなにとって「教会に行く」って行為も、それと似てるんだよ。
お祈りは、いつ、どこでもできるけど、
1週間に1度、主が復活された日曜日に、
日常生活の場を離れて、みんなで祈る。
そうやって、神さまから新しい力をいただいて、
また元の街に戻っていくんだね。
これを教会用語で「派遣」と言うんだ。
ミサの最後に神父さまが「行きましょう。主の平和のうちに」と言うでしょう?
あらたな祝福をいただいて、力をいただいて、それぞれの世界に戻りましょう、という派遣の意味がこめられているんだよ。